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自分がわからない

  • caresalonthera
  • 1月20日
  • 読了時間: 2分



自分なんだけど自分じゃなくて、何かに置いていかれてるような、悲しいのか、苦しいのか、怒っているのか、嬉しいのか、楽しいのか、こんなことがわからない時期がありました。


誰かといるときは普通にして(いたはず)1人になるとぐるぐるとそんな思考の中にいました。


大分大人になってから友人に「昔楽しかったよね」と言われ、「楽しいと感じたことないんだ」と伝えたとき、申し訳ない気持ちとなんだかスッキリする気持ちを2つ同時に感じました。


楽しくなかったのは相手が悪いのではなく、感情を感じにくくなっていた私自身の問題。


身体の力を抜くことをいつもぼやいているのは、自分が1番に力を抜くことがわからなかったから、そして力を抜くことは自然体の自分と繋がること、その見えないものの必要性を身体を通して自分が感じたからです。


身体が緊張してるとね、自分の内側で感じているものが全く感じられなくなるんですよ。


楽しい感情はよくわからなかったけど、嫉妬に狂って卑屈の塊のような人種だったと思います

(恥ずかしいですね、ははは)


人って自分に欠けているものに夢中になるのかもしれません。


おかげで、自分にないものを欲しがるようになって、今は少しだけ人間らしくなってきたかな、と思いたい。



身体の声が聴こえるのは自分と仲良しな状態なわけで、そのときって結構自分ってイケてるじゃん、そんな風に思えちゃう


自分の本音を閉じ込めておく時間が長いほど、自分自身が埋もれてわからなくなります。


なんだかちょっと心が疲れたときは、他の誰かに向けていた優しい気持ちを、自分が感じていることに向けてあげる、この時間は私たちにとって心と身体の養生時間です。











 
 
 

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