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幸せ選び
一生のうちに幸せも不幸せも、皆んなそれぞれに合ったサイズで平等にやってくるんだと思います。 でも結局幸せって自分の毎日の行いの積み重ねでしか自分の所に来てくれないのかもしれません。 生きてると迷うことってたくさんあるはずです、でも基本的に目の前のことを【やるかやらないか】この2つしかないのかなって。 私はやらない理由を探す天才なので、いろんな理由をつけてずーっとやらない、を選択していました、やる選択ってマッチョ思考、辛い努力の領域だと思ってたから(ごちゃごちゃうるせーですね) まぁでも生きてるとそんなことも言ってられないので、この2択を迫られた時には分解して考えるようにしました ⚪︎諦める ⚪︎嫌々やる ⚪︎腹を括ってやる きっぱり諦められるのは次の新しい可能性が出てくるだろうし 腹を括ってやると上手くいく行かないは別にしても、成長のために得られることも多いだろうし 嫌々やることは全てがストレスになるはずだ、と分けます ちなみに心と身体的にはこの嫌々やる、が1番ストレスになっています(精神的ストレスだね) このまどろっこしい思考を続けたおかげで今
caresalonthera
1月28日読了時間: 2分


自分がわからない
自分なんだけど自分じゃなくて、何かに置いていかれてるような、悲しいのか、苦しいのか、怒っているのか、嬉しいのか、楽しいのか、こんなことがわからない時期がありました。 誰かといるときは普通にして(いたはず)1人になるとぐるぐるとそんな思考の中にいました。 大分大人になってから友人に「昔楽しかったよね」と言われ、「楽しいと感じたことないんだ」と伝えたとき、申し訳ない気持ちとなんだかスッキリする気持ちを2つ同時に感じました。 楽しくなかったのは相手が悪いのではなく、感情を感じにくくなっていた私自身の問題。 身体の力を抜くことをいつもぼやいているのは、自分が1番に力を抜くことがわからなかったから、そして力を抜くことは自然体の自分と繋がること、その見えないものの必要性を身体を通して自分が感じたからです。 身体が緊張してるとね、自分の内側で感じているものが全く感じられなくなるんですよ。 楽しい感情はよくわからなかったけど、嫉妬に狂って卑屈の塊のような人種だったと思います (恥ずかしいですね、ははは) 人って自分に欠けているものに夢中になるのかもしれません。.
caresalonthera
1月20日読了時間: 2分
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